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新潟中越地震 ボランティア参加報告


2004年10月23日夕方に中越地方を震源に発生した地震が発生しました。
マグニチュード(M)6.8、北魚川口町で震度7、小千谷市で6強を観測したとても大きな地震でした。

第1話「きっかけ」2005.05.31
■はじめは・・・・
最初に地震の一報を聞いた時、私はお客様の元へ車での移動中だった。ラジオで流れてくる情報に驚きはしたもの、なんとなく遠くの出来事のように感じていた。地震の少ない埼玉で育った私は「新潟で地震か・・大変だな」程度しか思わなかったのが偽らざる本心だった。

■動かされた思い
テレビ画面や新聞を通して見ているニュースはやはり遠い出来事のようにしか感じなかった。

そんな中、男の子の救出の様子が放送された。自分も3人の子供をもつ親の身である。
「奇跡が起これば!」一気に震災が現実感をもって私に降りかかってきた。その子の親の気持ちになって見ている自分がいた。がんばれ、どうにか助かってくれ。仕事中も気になり、手につかない。我が家の末の息子の半分もまだ生きていない人生、それが自然災害の「地震」によってもたらせたとはいえ、こんな理不尽な事が新潟で起こっている。なんとかしたい、どうにか力になれないだろうか、そんな思いが噴き上げてきた。
■ボランティアについて、どういった参加がいいか
しかし、冷静に考えて一体、何ができるだろうか・・・思いつくのは「寄付」だ。
寄付をするというのは良いことだ。多額の善意ある気持ちが必要なのも理解できる、しかし、私は「寄付」という事でなく、実際に被災者の声を聞きたい、現場でなにかお手伝いできないだろうかという思いに動かされていた。
色々な参加方法があると思う。知人やボランティア団体の方、阪神淡路大震災の経験者の方などのご助力を得てわかった事は

・復興は長期になること
・震災直後はボランティア方々がたくさん来て下さるが、だんだんと少なくなっていくこと。
■揺れる気持ち
私が生きてきた、その経験を生かしてこそ、初めて被災者に喜んでもらえるのではと考えた。しかし、これはわがままな気持ちかもしれないと言う思いもあったのも確かだ。偽善なのか・・・・ただの自己満足なのか。私はそんな思いと葛藤していた。
そんな思いを古くからの友人の水村氏に話した。彼は地元七里で不動産業を営んでいる、子供も同じ小学校、私がよく相談に乗ってもらっている友人だ。「なにか僕達も出来ないだろうか・・・」
真剣に聞いてくれた、水村氏は「偽善でもいいじゃないか、やろうと思う気持ちが大切だ、自分も力になりたい」
新たな賛同者を得たことにより、思いはいっそう強まった。
■職人として、私の出来ること
仮設住宅はトタンだと聞き、夏はかなり暑くなると考えました。そこで塗装業の知識を生かし屋根に「遮熱塗料」を塗ってみるのはどうだろう。ゴミの問題もあるので、塗装ならばゴミも少なくてすむし、クーラーを取り付ければ涼しいだろうが、余計な電気代を負担させてしまう。遮熱する塗装工事なら余計な負担もかからず、夏は涼しく、冬は暖かく過ごしてもらえる。
■思わぬ意見
大体の構想が固まって、会社の会議にてボランティアについてを議題として話を切り出しました。当然、賛成してくれると思った社員から反対がでました。我が社はアットホームな会社、いわゆる小規模の会社。そこに、いくらボランティアの為とはいえ社長と職人さんをが現地に行ってしまうと、その間仕事が滞ってしまう。なにも現地へ行ってボランティアを行わなくても寄付でいいのではないか・・・・そんな反対意見。

ひとり社員の女性からは「なぜ新潟なのか、福岡も大変なのに・・・」
彼女の出身地は九州でした。

賛成してくれると思った社内からの反対意見、正直かなりへこみました。けれど、どうしてもわかって欲しかった。お金だけではない事を。
お金だけでないものが確かに存在するということを。

九州も大変なのは判っている。しかし、地理的な事を考えると、埼玉からの交通を考えると物資を運ぶ費用と時間をなるべく節約したいという事。選んではいけないのだろうか・・・そんな思いが胸を過ぎった。

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